介護:気がついたらシニア
子供に自分の父親はこんな人だよとブログを通じて伝えたい。 何時か必ずやってくる日の為に・・

プロフィール

Author:ニュータイガー8
子供の頃は野球少年であり、将来の夢はプロになる事でした。高1の時自信のあった遠投でアピールするが肩を傷め夢を断念。 23歳で起業する51歳でリタイヤし寝たきりの両親の24時間介護を7年間する。



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シニアの独り言

箱根湯本から強羅公園〜ひめしゃらの湯〜べコニア園と廻ってきました
箱根湯本のエスカレーター下のタイル絵・・・今回は写真とは関係ない独り言の記事です箱根1
                                  (箱根登山鉄道とあじさい)
療養病床の削減・・・医療と介護の両方の機能を持ち合わせているのが療養病床です
削減するのは国の都合だが家庭の事情で入っている老人達はどこに行けばいいのですか?
強羅3

削減どころか、これからの日本は急激な高齢化にどう対処すべきなのでしょうか?
各地域によっては条件、環境も違うのですから増やす計画を打ち出す地方自治体があっても
良いのではと勝手に思ってしまいます
箱根4

介護職員の離職・・・一般企業では以前から社員のモチベーションを高める為のマネージメント
そのものの勉強会、研修会が盛んです、本来介護職は誇りの持てる仕事だと思います

仕事に対する意義、意識づけ、動機づけ、プライド、奉仕の精神などを若い介護職員に教導
(おしえ、みちびく)管理者の育成が急務かと思う、管理者自身が仕事の意義や誇り
理論武装が出来ていないと、管理者になった時に何をすべきかが分らず迷い退職へとつながる
のではと思えてしまいます
ベコニア1

私の母が7年半訪問看護に、父は3年間特養ホームに、お世話になっただけに何時も気に
なります、後期高齢医療制度などの事を心配しているのは一部の人達だけですか?
老後は皆に公平にやってきます、より良い老後のあるべき姿を考えた日でもありました

後記:後期高齢者医療制度については5/26のターミナルケアーと私(2)で心情を書いています
一読していただければ幸いです

戸惑い

7年間(正確には7年半)要介護5の両親の介護に専念して生きてきた年月です
今は両親とも亡くなり介護から解放され自由の筈が何故かとても気が重いのです
(辛いとか悩んでいるとは違います)

ストレスは介護生活の時の方が多くあるのにも係わらず今よりは楽と思える
時がある、どうしてだろう?!


今の心境は、人生と言う流れの中から放りだされた様な気分です、子供の頃に
海水浴場で迷子になった時の心境にどこか似ています


介護を体験してみて今まで気づかなかった事が見たくなくても見えてしまう
病院とは、医者、看護師、ヘルパー、ケアマネ、特養老人ホーム、老健とはなどなど

親が倒れるまでは脳梗塞、心筋梗塞も知らなかった、 そして人間の最後はもっと
簡単だと思っていました

仕事をしていた頃は・・「寝たきり」文字や言葉では聞いていても実感なんてまったく
有りませんでした

介護を体験するまでは死など考えた事がなかった、ところが両親が亡くなってからは
介護時より考える様になってきた (なってしまったが正解かもしれません)

また頭の回転がえらく遅くなり、記憶力や理解力が低下した、あ〜体力もです
(最近ではすこしづつですが取り戻しつつあります)

自分の残りの人生は?残りの人生を有意義なものにするには、 サーどう生きる?
自分の中での60年は充分生きたつもりです、頑張って生きて来た自負はあります

残りの人生まだ何があるのか? 年老いた事の戸惑いが拍車をかける
介護が終わった頃、私はウツ病になるのではと思い込んだ、 私の友人の中にも
色々な事情からウツ病になるのではと思われるのが3人ほどいますが・・・

ところが私を含めての4人ともウツ病には何故かなりません、 どうしてだろう
◎趣味?◎ボランティア?◎ジム通い?◎ブログ?◎阪神タイガース?◎友達?ですか?

この悶々とした精神状態の中でも
心の何処かでは必ず自分らしい残りの人生を見つける自信が有るような気がする
だからですか?
生きる事の難しさを痛感する昨今です


ボランティアを体験してみて(2)

今回で3回めの活動です、初めて体験した場所の花壇づくりです、 前回の終了時の
状態です (土を耕し肥料を与え2週間寝かしました)
花壇603
私の参加したボランティア団体は今年で13年めになるそうです
ボランティアの会報に花には人の心を癒し、豊かにする不思議な力が宿っていると
言われます、と書かれてあったが私もそう思える(右上の人はボランティアメンバーです)
花壇617の2
今回の参加者は総勢14名でした(役半数のメンバーが参加)普段はそれぞれの担当
地域での活動です、この花壇が私が参加する場所です

私の場合、本当は老人介護のボランティアの活動をすればいいのだと思うのですが
両親の7年間の介護生活に精神的には相当疲れています!?自分で勝ってにそう思っています
でも、いつの日にか老人介護の手伝いが出来ればいいのですが、今はまだ気が重いです
花壇3
おまけの様な残りの人生ですが有意義なものにする為には私自身にも心の癒しが
必要と痛感しています、まだ3回めですが、今の私には、このボランティアは私にとって
最適な気がします

  人の為と言うより自分が癒されているボランティア活動でした


関西弁のヘルパーさん

今から7年程前の事ですから時効と言う事で書いてみます
母の訪問介護に来ていただいているヘルパーさんの中に関西弁を話す
ヘルパーさんがいました


介護は息子である私とヘルパーさんの共同作業です、だからすぐに分りました
このヘルパーさんは関西生まれでも育ちでもない事が・・・

母が神戸出身と言うことなのでコミニィケーションのつもりで関西弁
(どちらかと言えば大阪弁に近い)を使っている事が・・


残念な事は、この関西弁が実に怪しげな喋りなのです、それは大根役者でした
関東の人が無理して関西弁を話しているのが一目瞭然です

このヘルパーさんが大坂のおばちゃんの様な明るさがあれば
まだいいのですが、どちらかと言えば雰囲気も暗く会話下手なのです


2ヶ月が過ぎた頃、介護が終わった後で「あの〜別に関西弁でなくていいですよ」
とヘルパーさんに話しました、(好意からなのは分っているので優しく話しました)

ヘルパーさんは途中から標準語で話しても大丈夫か心配との事でした
この頃の母は認知症はそれほどでもなく体は要介護5ですが、頭はまだまだ
しっかりしていました

母に尋ねたところヘルパーさんの話す関西弁には最初から違和感をもっていた
そうです、 ただ好意的に使っているので、あえてその事には触れなかったとの
事でした

その後、母が言うには 「いくら、へんてこりんの関西弁でも神戸を思いだす、
無理は分っているが死ぬ前に神戸に行ってみたい、親戚、友達にも会って
おきたい、この身体では無理なんだろうね・・・・」と言って目を閉じ寝むりに
ついたのです

本当に寝むりについたのか?もうこれ以上話したくなかったのかは私には
分りません


後日、そのヘルパーさんには標準語で話してもらう様お願いしました
ヘルパーさんの好意が故郷を思いだし、寂しさを感じたのは事実でしょう


いつからか認知症に

「おふくろ おふくろ」最近なんだか顔が小さくなってきた気がする
母の顔が違う人の様です、すごく優しい顔に見えてくる、中学時代に
おふくろに叱られた時の顔とはまるで違う

自分の家にいる事さえ分からなくなっている、おふくろは私に
「さー家に帰ろう」と言う

私はどう返事をしたらいいのか困り嘘をついてしまいました
「おふくろ今日は一日中、雨だから明日にしょうよ」
母は頷く、でも5分もしないうちに「さー早く家に帰ろう」と言う

寝たきりの母親が言う家はどこなのか?今はない生まれ育った家を
言っているのだろうか?

私が家を建てた時、自分では親孝行のつもりで両親を神戸から来て
もらって同居をしたが、本当は神戸に居たかったのかと思ってしまう

いつからだろう母親に認知症が出て来たのは・・・・
夕方の4時にヘルパーさんがやってきます、ケァーが終わるといつも
「今日の料金はいくらですか」とヘルパーさんに毎回尋ねる様になる

広報に載っていた認知症相談も時間が折り合わず行けませんでした
母の認知症が進むにつれて私の孤独感は増して行くばかりでした

心の救いはおふくろの寝顔が実に穏やかに見える事でした
今では「さー家に帰ろう」と言う言葉も、穏やかな寝顔を見る事も出来ません

昨日、雨の中 横須賀菖蒲園に行ってきました、合羽を着て菖蒲を写す
菖蒲9

雨の中、数多くの人達が菖蒲を見に来ていました
菖蒲7

菖蒲10


ボランティアを体験してみて

スポーツジムで知り合った方がボランティア団体の代表でした
今や年金生活の私です、空いてる日でいいからとの勧めだったので
「ひとつ体験してみるか」ぐらいの軽い気持ちでOKしました

活動は心身に障害のある方の福祉施設の花壇づくりをする事です
施設に一年中美しい花が咲き、見る人の気持ちが癒されると大変
喜ばれているそうです、

★私は今月の3日がボランティア最初の日です、あいにくその日は雨です
花壇の一年草を抜き、土を耕し肥料を与えるのが今日の作業になります

雨でも決行との事なので合羽と長靴を用意しました、
家から目的の施設に行く間、私の気持ちは複雑でした、こんな雨の中で
泥だらけにならなければいけないのかと思うと引き受けた事に後悔を
していました、
(恥ずかしい話です)

自分の気持ちの負担になってまで、やる必要がどこにあるのだろうか
今日だけで終わりにしょうと思いながら目的の場所に着きました

そこには10人以上のボランティアメンバーが雨の中来ていました
何故かメンバーの顔がとても優しく見えました、しかも花壇づくり
未経験者の私に親切に教えてくれるのです
(私もいつしか夢中に・・・)

誰ひとり不満を言う訳でもなく、雨の中もくもくと作業をしています
私の予想通り泥と汗で汚れてしまいました、ところが自分の気持ちは
それとは反対に実に爽やかです、楽しくも思える程でした


10日が2度目の活動日です、前回と違う施設に今回はメンバーが8人と
障害者の方々との共同作業です

作業が終わって気づいた事は心身に障害のある方の福祉施設の
花壇づくりをする事で喜んで貰おうと言うよりは・・自分自身が作業する
事によって癒されている事にきずきました
(夢中になれるのです)

花を植え水を撒き、周りの雑草を抜き出来た花壇を見た時、気分は最高


花だけのアップです

08609の6
どうも気持ちに余裕がない時、ストレスを感じた時に花の写真を撮りたくなります
我が家のベランダに咲いた花をパチリ!!
08609の7

最近、昭和40年代が懐かしく思える時があります・・・人間がもっと分りやすかった
様な気がしてなりません


自己満足の世界では

ある講習会に出席した時の事です、この講習会そのものに興味があり楽しみにして
おりました、用事を変更してまで出席したのです

B講師による講義が始まりました、講義が始まり1時間がたった頃から出席した
事に後悔を覚えました


B講師の話が絶えず脱線気味でしかも本題とは関係ない部分で自分の雑学や知識を
見せびらかす展開でした
 本人は知識人のつもりなのでしょうか、しかも質問に対しては
自分の価値観を肯定し聞き手側の価値観を否定するありさまでした、聞いている私は
へきへきしてきました(不愉快さを感じました)

3時間の講習会も残りの2時間は講義ではなくなり、あちらこちらで雑談になりまとまりの
ない講習会になってしまいました

百歩譲って、講師の目線での講義も大切でしょうが、聞いている側が何を聞きたい
のか何を求めているのかぐらいの配慮は必要かと思いました。


私の会社での新人教育の時も同じでした、教育する側が先輩顔して指導していると
以外に効率があがりません、それどころか会社のイメージダウンです

教育する側が、新人がどこでツマズキ、どこを疑問として捉えるのかを新人の目線に
たつ事で、どう教えれば新人が分かりやすく理解出来るのかを準備、段取りする事が
大切な事ではないでしょうか、


新人教育での偉そうな態度の先輩社員や講習会のB講師などは相手の立場を
理解できず自分が優越感にただただ酔っているだけだと思ってしまう

若い頃先輩から教えられた言葉です・・・実るほど頭を垂れる稲穂かな・・・
私自身もまだその境地には至ってはおりません、他人に厳しく自己に甘いのが現況です


介護、これで良いのですか?

両親の介護をしていた頃、私の頭の中を駆け巡る疑問を書いてみます
私の母は寝たきりでトイレに行く事が出来ません、ベットで身体を起こす
事も、自力で横を向く事も、食事も自力では無理です

排便もオムツの中で済ませる事しか出来ません、自宅で介護を始めた頃は
母親の排便処理にはショックを感じました、
それも介護する側(私)が何度か体験をすると自然と慣れてくるものです

排便はトイレで、寝返りも自由に出来たら、食事も自力で食べられたら
どれだけ幸せだろうかと、健康な人なら普通の事が母には大変贅沢で
手の届かない事でした。


ある日、父が入所している特養ホームに見舞いに行った時の事です
入所した頃は弱々しくても歩ける人が1ヶ月後には車椅子の生活になっている
のです、しかもオムツを着用しているのです

本当に車椅子が必要なのか・・?よろよろの足で歩かれるより安全だからと
言う理由なのは分かるが、それは一方的な施設側の都合ではないのかと・・

オムツを着ける事によって面倒だからと思いトイレに行かずオムツの中で
排便をしてしまう回数が増えてしまうのではと私などは思ってしまいます

また食事介助も身体的に不自由なら当然必要と思いますが現実はどうかと
言えば介助が必要な人と自力で食事が出来る人の区別を施設側は考えて運営
しているのだろうかと疑問に思えてなりません

自力で食べられる人に食事介助をしていたならば、この人は自力で食べる
事が出来なくなり、自力で食べる喜びを味あう事が出来なくなります

車椅子使用者にオムツを着用させると、いずれはトイレでの排便をしなく
なるのではと思う・・・歩ける事の喜び、トイレでの排便,自力で食べる
食事の喜び等をひとつ間違えると★それはホーム入所者の人間としての
生活や尊厳をとりあげてはいないだろうか?と・・・


私は思う、一日でも長く・歩ける喜び、トイレでの排便、自力での食事の喜びを
老人達が味わって生活をしてほしいと願います

知人にその事を話すと「考えすぎでは」と言われた、 本当にそうですか


学ぶ(まなぶ)の語源はまねる

最近、私のブログに寄ってくださる人のブログに訪問させてもらうと、記事の中の写真が
素晴らしい写真で一杯でした、記事を読んでいくと一眼レフと違い、なんと驚いた事に
コンパクトデジカメでの撮影との事でした
花ー18

しかも1名だけではなく複数の人のブログの記事で・・なんだか自分の写真が恥ずかしく
なってきました
私は一眼レフを購入するまでの1年半はコンパクトデジカメを使っていましたが、当時は
記念写真だけで充分満足をしていたのですが・・・・
花ー15

そこで私も少しは上手くなりたいと思い、 上手な人の写真を眺めて参考にしました、
出来た写真がこの5枚と下の記事の(花以外)2枚の計7枚です
花ー10

実はこの7枚以外に80枚ほど撮ったのですが結果はパーとしません、残念でした
私個人としては上から2番めの写真がとても気にいってます
花ー8

花だけではなく、いろいろな被写体を写して行きたいと思います、 必ず家族にオ〜と言って
もらえる様な写真が撮れるまで続けます、むかし親父が始めて私に撮った写真を見せて
くれた時の様に・・・
花ー17


昔の光景を思い出す

花以外も撮ってみました、あくまでも練習です、本当に写真撮影は楽しいです
いやいや、パソコンで自分の撮った写真を見る時も撮影時と同じ位楽しい!!
他ー8

決して介護の体験記を忘れた訳ではありません、ただ介護生活が終わり、もんもんとした
生活の中で自分の気分転換になるものを見つけた気がします、また私の父も50を過ぎた
頃から写真が趣味でした、親父がくれた趣味の様な気がしてなりません・・・
他ー7

そう言えば両親が元気だった頃、親父が撮った花の写真をおふくろと仲良く見ていた
光景を思いだしました、ほのぼのとしたいい感じだった気がします