介護:気がついたらシニア
子供に自分の父親はこんな人だよとブログを通じて伝えたい。 何時か必ずやってくる日の為に・・

プロフィール

Author:ニュータイガー8
子供の頃は野球少年であり、将来の夢はプロになる事でした。高1の時自信のあった遠投でアピールするが肩を傷め夢を断念。 23歳で起業する51歳でリタイヤし寝たきりの両親の24時間介護を7年間する。



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3/29・【いとこ】と鎌倉見物に・・(2)

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昨日と今日の快晴で桜が満開に太陽のように・・・
鎌倉は始めてとの事なので長谷寺〜鎌倉大仏〜鶴岡八幡と
定番見物となりました。

今回【いとこ】との再会も亡き両親が会わせてくれた気がします
神戸から遊びに来てくれた【いとこ】の○○ちゃん、お嬢さん
横浜・鎌倉を楽しんでくれたかな?

今度くる時はもう少しゆっくりしていって下さい。
本当にあえて嬉しかった(^。^)亡き両親に心から感謝


3/28・神戸から親戚が遊びにやってきた(1)

横浜ウォーク

お互い50代になった【いとこ】何十年ぶりだろう新横浜で待ち合わせする
子供の時の記憶だけなのに不思議と一発でわかった。

お互い子供の時と同じ様に○○ちゃん△△ちゃんと自然に呼び合うくま
娘さんを同伴して、なかなかの美形気配りの出来るしっかりお嬢さんです。
両親の愛情をしっかり受けて育ったんでしょう

またまた昨日と同じコースの横浜見物となりました
今日の最後は全員でシャンパンでしめました。とても楽しい一日でした
飲んだせいなのか昨日と今日の疲れがど〜とやってきました。(^^♪(*_*)


3/27・ロイヤルウイングでクルージング

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女房の知人から貰ったクルージングのチケットで横浜に出かける
横浜の定番の観光どころを7時間掛けて二人で散策

残念なのは天気があまり良くなく桜が今ひとつでした
10年ぶりの横浜随分と変わりました

どんどん進化している横浜を見るのも又楽しいものです。
その分、私達は進化ではなく老化しているのでしょう

子供が通っていた学校も今ではマンションになっていました

大桟橋からロイヤルウイングで1時間のクルージングと食事です
クルージングはとてもいい雰囲気でした。でも今日は疲れた。


精神力とは

精神力を辞書で調べて見ると
何かをやり抜こうとする意志の力 気力 〜で乗り越えてとある今から書く
事は、あくまで私の体験からの説です。

若い頃、自分自身を鍛えれば鍛える程、精神力は強くなると思っていました。
努力、忍耐、向上心、信念、自己啓発などなど・・・

私が23歳で起業した時、経営者としての主柱になったものとは
  ★ナポレオン・ヒルの巨富を築く13の条件
  ★スイートランドの信念をつらぬく −−私はやるーー
  ★j・マーフィーのマーフィー100の成功法則

以上の3冊の本でした、 自分の描いた人生目標を明るいものにする為にも

毎日、何度も何度も、この3冊の本を読み続けて遂行したのです
実践する中、幾度も壁に当たり挫ける寸前まで幾度も経験しました。

利益が上がらずインスタントラーメンだけの生活を3ヶ月間も続けた事も
アルバイトをしなければ自分の会社を維持する事も出来ない時期も・・・

小さな達成〜失敗〜修正〜小さな達成〜失敗〜修正の繰り返しでした
その様な会社運営も5年が過ぎた頃(28歳)・・・業績はまだまだなのに
不思議と会社運営に対しての成功に確信が持てる様になりました

今迄の苦労が嘘の様に、それは潜在意識から自然と湧き出してきたのです
5年間でまとめ挙げた運営方法と経験で間違いなく成功に向かって行けると・・・
28歳からの私の企画は小さな失敗こそあれすべてが成功したのです

その時の自分は重機関車を新幹線のスピードで突き進み首都圏の主要都市に
支店網を確立していきました。12,3年その様な時をすごしました・・

40代に年齢が達した頃から仕事に対する熱意や根気が少しずつですが
無くなり始めました。
同時にストレスを強く感じる様になって行ったのです

51歳でリタイアし今度は親の介護を7年間そしてすべてが終った時シニアに・・・
今、分かる事は精神力と言う主柱は若い時に多くの種を蒔き育てるものだが、

たんぽぽーその2

ある時期を境にどんどん消耗するものです
そして精神力と言う主柱をすべて使い終わった様な気がする昨今です。


近所の老夫婦

近所に私の両親と同じ年代の老夫婦が住んでいました
その家は2世帯でも充分すめる立派な邸宅です。、
子供さん二人は結婚してからは何故かあまり実家に寄り付きません

きっとご両親は同居したくて建てた家なのでしょう、すくなくとも
私にはそう見えます。

介護保険が始まり丁度1年がすぎた頃です
老夫婦が交互に救急車で運ばれる事が二度ほどありました
老老介護からの疲れからでしょうか

どうも訪問看護サービスを利用していない様なので、うちに来ている
ケアマネに訪問してみてはと、お願いしました。

ところがケアマネに結果を尋ねると介護保険の話になると「そんな
うまい制度がある訳がない・・年寄りをだますのか(怒)」

信用して貰えませんでした・・「市の方に相談してみます。」とのこと・・

この老夫婦が、その後介護保険を利用する事は有りませんでした。

年を取るとだんだんと情報が入って来なくなります、又自分にとって
興味のあるものには耳をかしますが、それ以外は聞かなくなります。

もし子供さんが同居されていたらこの様な事は無かったと思います
老後はさきの事と思わず家族は普段から、色々と話しておく事です。

我が家でも息子に色々と伝えておきたい事があるのですが残念ながら
上手く話せません。

息子とは酒でも飲みながら時間(月日)をかけて話していきます。


こんなにも頑張っている人達がいる

介護生活も3年が過ぎる頃になると、そろそろ限界かなと思える程の辛い時期でした。

私は母が少しでも楽になれる様な介護、医療、病院などに関する情報を求めていました
その頃子供が新しくパソコンを替えかえるので旧式のパソコンを私が使う事に

介護と介護の空いている時間(現実はギリギリ)を利用してパソコン教室に
通う事にしました。 パソコンの検索機能を使って情報を得ようと思ったからです。

覚えてからは毎日毎日、介護、医療、病院などの検索をしていました

ある日ホームページ〜ホームページ〜ホームページ〜へと渡っていった時に在宅介護の
ある家族のホームページにたどり着きました。
それは母娘の壮絶な在宅介護の
記録であり助けを求めるホームページでした。

父親は重度の病(病名は伏せます)で自分ではなにひとつ出来ない状態です。
最初は母親(奥さん)が介護をしていたのですが、介護疲れがひどくなりその後は娘さんも
手伝う様になったのですが、 娘さんに待っていた現実は彼氏からの婚約キャンセルと
仕事も辞めなけばならない状態にへと追い込まれたのです。

介護記録の文面の中で母娘が救いを求めていたのは訪問看護師さんへの頼みでした
父親の病は特殊なのです・・(例として病名Aとしておきます)

最初の2年は病名Aに対して経験のある訪問看護師さんが来てくれていたのですが
家庭の事情で転居となり、  他の看護師さんが来る様になるのですが病名Aに対する
経験がない為
かその後の看護師さんは全員1ヶ月未満で来なくなってしまうそうです。
なかには1日で来なくなった事も・・・

母娘はホームページを開き全国の看護師さんに救いをもとめたのです。
ホームページには介護の内容が書かれていました、 間違いなく私より大変な環境です。

私はホームページの中にある掲示板に『頑張ってください、私も頑張っています』と
だけ書き込みました。当時の私には、それ以上の言葉は見つかりませんでした。

ただ言える事は3年で在宅介護に限界を感じていた私が倍の7年間手抜きもせずに介護できた
要因のひとつに、こんなにも介護で頑張っている母娘のホームページを
読む事が出来たからだと
今では思います・・残念なのは私のパソコンスキルではあの時の
ホームページへはもう一度尋ねる事が出来ません。


土曜日に北鎌倉から

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今回は女房と車で出かける事に、
行き先は北鎌倉からとだけで計画性はなしで東慶時から始まり
浄智寺鎌倉宮逗子マリーナ披露山公園と無計画に散策する
ただ見物するだけでなく寺史を想いながらゆっくりと・・

若い頃は神社仏閣にはほとんどと言っていいほど興味がなかった
だけど今、鎌倉の寺院を散策すると実に気持ちが安らぐ癒される
首からデジカメをぶら下げて歩く、ヒョットしたら歳?!か〜〜

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仕事、子育て、介護も終わり何かご褒美にもらった様な残りの人
失うもの求めるもののない残りの人生
逗子マリーナ2

今では絶えず何かを求め結果をだす為の忙しい時間を何故か懐かしく思う
あ〜あ〜あかん あかん

遠方に江の島

これからは、せっかく頂いた残りの時間を穏やかでのんびりと
しかも有意義な第2の人生を築いていかねば・・(2度めの人生設計を)


介護疲れからの殺人報道(2)

群馬県における介護疲れで妻が夫を殺した裁判の判定がでた。
脳梗塞で倒れた夫が下半身不随で寝たきりになりヘルパー経験のある妻が在宅で介護する。
1年間の在宅介護でのストレスが限界に達しての犯行だそうだ。

夫婦と親子の違いこそあれ私は心筋梗塞で倒れ寝たきりになった母親を7年間在宅介護をした
在宅介護におけるストレスで介護労働だけのストレスなら辛いが我慢出来るものです。

● 親のオムツの交換も、 ●汚した便を取る事 ● 全身を拭いてあげる事も
●食事を作り食べさせてあげる事も ●2時間おきの体位交換も●包帯の交換も
● 床ずれの手当もそして少しづつであるが●認知症が進んでいく

時には●大声で叫ぶ・・・でも家族だから我慢は出来るものです。

私が体験したストレスの大半は心ない訪問看護師やヘルパーの言葉や仕事内容からです。
くれぐれも誤解しないでほしいのですが心優しい有能な訪問看護師やヘルパーさんが
いる事も決して忘れてはいません。

心ない訪問看護師やヘルパーとは・・・初めて訪問看護に来たその日に
その家庭の内情もわからないのに自信たっぷりと
親がこの様な状態になったのは「息子さん貴方がしっかり見ていないからですよ」と・・・

母の心筋梗塞が私の責任の様に決めてかかる訪問看護師やヘルパーさんが
以外といるのです。・・・・私の顔がどうも親不孝もんの顔なのでしょうか?

それとは逆に寝たきりになって辛い思いをしている母親の前で「こう言う状態は
家族の人達が大変なんですよね」・・その場の状況を見ずに話す無責任さ

心にもない同情的なわざとらしい言葉・
・・等など
仕事内容の雑な人(いつも汚していく・・利用者を物を扱う様に・・必要以上にあたふた動く

介護する家族の気持ちも考えず指導のつもりか上から話す傲慢さ、
いらいらしている更年期障害の訪問看護師やヘルパーさん

更年期障害からくるのか情緒不安定な人が以外に多くいるものです。
この様な事例から受けるストレスはほんのごく一部です。 ブログには書けないほどの
不愉快な思いも体験しました。 

どんなに小さなストレスも他人の無責任な態度や言葉を絶えず受けていると精神的に
どんどん追い込まれていくものです。受けたストレスを吐き出す所も時間もないのです

介護生活も5年が過ぎた頃お笑い番組を見ても笑う事も出来なくなっていました。
洗面所でいつもの通り髭を剃っていて顔の表情が硬くなくなってきている事に気づきました。

今、介護が終わり1年がたちますが介護に関わる周りの環境が大きなストレスへと
導く事を強く痛感します。そして
早く本来の自分を取りもどさなくてはと・・・


看護師さん、ヘルパーさんから聞かれる事で

親の在宅介護をしていると訪問看護師さん、ヘルパーさんから聞かれる事で
どうしたら「○○さんの様に親の介護が出来る子供に育つのでしょうか?」

自分なりに色々考えてみました。
常識的な幾つかの答えが出たのですが、素直に自問自答をしてみたのですが
答えは全て違っていました。・・・・どうしても答えを出すならば

私が誕生してから38歳までの間で両親と一緒(同居)に過ごした期間は6・7年
ぐらいだったと思います。絶えず家庭の事情で家族全員が揃う事なくバラバラでした。

その為か子供の頃の家族としての記憶は余りありません、
あるのは親が阪神タイガースの大ファンで父は猛烈な仕事人間だった事ぐらいです。

家を建てたら親を呼んで同居したい、それが私の夢のひとつでもありました。
38歳の時それは実現しました。
しかしその段階では介護の事など頭の片隅にもありませんでした。

両親と同居して分かった事ですが大正生まれの人間の主柱の強さ、生き様の強さを
感じました。そして年老いていく両親を見る事にも・・・・

タイトル:★何故、在宅介護を選択したか(1)(2)に書いた事が原因ではありますが
あの時私の心の中にあったものは

子供の頃あじ会う事が出来なかった親子の絆や家庭の温もりの全てを知りたい
その為にも【家族としての温かさの中で最後までを見送ろう】と言う気持ちが
間違いなく心の中にありました。
介護をしながら両親の事をもっともっと知りたいと思う気持ちが強くなって行きました。