介護:気がついたらシニア
子供に自分の父親はこんな人だよとブログを通じて伝えたい。 何時か必ずやってくる日の為に・・

プロフィール

Author:ニュータイガー8
子供の頃は野球少年であり、将来の夢はプロになる事でした。高1の時自信のあった遠投でアピールするが肩を傷め夢を断念。 23歳で起業する51歳でリタイヤし寝たきりの両親の24時間介護を7年間する。



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素晴らしかった1年が嘘のような・・・

母を在宅で介護している関係もあり父は老健から新しく出来た特養ホームBに
入所しました。
以前・・何故、在宅介護を選択したか(2)のタイトルの中で書いた様に
私は特養ホームに関してはあまり良い心情を持っていませんでした。

ところが出来たばかりの特養ホームBなのに従業員(看護士、ヘルパー)全員が
明るく、とても動きがいいのです。


以前、見学した特養Aホームの暗い雰囲気や【介護してやってあげている】と言う
態度は全然感じられませんでした。

若い従業員が入所した老人たちが喜ぶ企画や工夫が随所に見られ一部屋(四人)に
一人の担当者が付き、小さな不手際も一生懸命な姿勢に消されてしまいました。
若い従業員の手作りの暖かさが感じられました。

ところが1年が過ぎた頃、看護士、全員が退社・・その前後にヘルパーも7割近くが
退社して行き、その後3ヶ月以内で残りの大半がやはり退職していきました。

その後特養ホームの雰囲気も悪くなり、どう見ても20人の利用者に対して1人の
担当員しか居ません、担当員の労働負担は相当のものです。そして又
退職していきました。ところが従業員の人数は変わらないのです。その実態は
新しく入った従業員の配置がディサービスに多くの人数が割り当てられていたのです

ディサービスはどちらかと言うと外面、入居利用者は内面です
そして特養Aホームの様な【介護してやってあげている】と雰囲気になり、何故か
企画や工夫が出来る従業員を見かける事が無くなりました。

何故、多少未熟ではあるが多くの可能性を秘めた若い従業員(看護士、ヘルパー)が
退職したのでしょうか?
入所した最初の1年間に出会った従業員(看護士、ヘルパー)さん
本当に有難う入居利用者の家族として多くの元気を貰いました


父の優しさに触れる

母が寝たきりになり在宅介護生活が2年を過ぎる頃、父が脳梗塞で倒れる

救急車で運ばれた病院は3ヶ月で転院しなければならず今度はリハビリ病院に・・
リハビリ病院も3ヶ月で・・その後は老健にてリハビリをする。

父も母と同じく要介護5に右半身が麻痺状態になる両親とも80歳を過ぎた
時期
でした。

この頃と言えば家では母の介護、介護と食事の準備の間の時間に父の見舞いに
父に寂しい思いと不安な気持ちだけにはさせたくなかったからです

その時期に今度は両親と同年代の女房の父親が倒れる介護をしなければ
いけない時期が重なってしまった。

私自身も体調が悪くなり血糖値が300前後、血圧も150以上に・・それでも家が暗く
ならない様にと自分の事は女房には話しませんでした。

家族の前では元気に振舞う事に、現実はたっているのが精一杯でした。

体調が悪い上に睡眠不足の日が続く、ただただ眠りたいこの様な時期に
限って介護と関係ない色々な出来事が重なるものです


父もその様な現状を理解していたのか特養ホームの入居の相談を簡単に納得して
くれたのです。そして父は私に「あまり無理するなよ」と・・・

遂に特養ホームの入居の日、その日は老健を出る日でもありました。 玄関まで
多くの看護士さんやヘルパーさんが見送りに出てきてくれましたそして父に励ましの
言葉や記念品と写真を渡してくれました
江の島・花7-2

80歳を越えた父は麻痺した右手で一生懸命に手を振ろうとしていますその時の
父の顔は涙でグチャグチャでした。

  私は何度も何度も「有難うございます」と頭を下げるだけでした。


介護と育児

介護の苦しさは介護した事のある者しか理解できないと言う話があります
では自分で介護などせずサッサと特養ホームに入れてしまえばという
冷たい声もあります。ところがサッサとは行かないのです。

まず入るのには順番があります。600番〜800番待ちが当たり前です。
一つの特養老人ホームで年間で空きができ入所できるのは5人〜10人位です。

何年も待つ事になるのです。 (全国で36万人が空きをまっている)
だから皆さん5,6軒の特養ホームを掛け持ちで申し込んでいるのです。

では療養型病床群はどうでしょうか。・・残念ながら近く無くなるそうです
訪問看護の親切な看護士さんが私に「もうこれ以上家で見るのには限界ですよ

○○さんがまいってしまいますよ。自分の事も考えてはと・・」
県庁で療養型病床群の病院名・住所の掲載された冊子がでていますとの事

県庁に電話で問い合わせるが、担当の課が解らないとの事、職員は以前その様な
冊子を見た記憶はあるのですがと・・あちらこちらの課をたらい廻しされたあげく

本屋さんに行けば売っていますからそちらにどうぞとの事
この様な話は腐る程あります・・(わたくしプツンときれる寸前でありました。)

なんの準備も出来ていない、ある日突然に介護の時期がやって来ます
介護に関してはこちらから積極的に行政に行動しないと動いてはくれません

在宅介護には県や市からいろいろなサービスを受ける事が出来るのですが
行政のほうから積極的には話してはくれません【申告制】

サービス内容の殆んどが親切な訪問看護士さんやヘルパーさんからの情報です
色々なサービス内容を知っていないとサービスを受けるのが後手後手に
なってしまいます。


訳の分からない国への経済援助や公共事業もいいがもっともっと日本国内の
老人福祉や育児誠の政策・制度(感謝される様な内容)を考えてほしい

私は24時間介護のなか、育児の大変さにも気づきました
育児も同じく育児した者しか理解できないのでしょう・・だが育児には夢と期待がある
しかし在宅介護には何があるのだろうか。


余分な話を書いてみます。

昨日、横浜に用事があり、でかける事に
予定時間より1時間ほど早く着いたので西口近くの喫茶店に
何気なく後ろの席からの会話が聞こえてきました。

「給食代なんか馬鹿、馬鹿しくて払う気がしないでしょう」
「まずいしネ・・」
「払うのなら子供が喜ぶ様な料理をだして貰いたいよね」
勝手に出しておいて払えとは失礼しちゃうわね


この様な会話が15分ぐらい続いたのにはウンザリしました。
ニガニガしく、しかも大声でまわりの他の客の事も気にせずに・・・
どうも30代後半主婦の3人組みである、こうして女性は厚顔無恥な
オバタリアンに変貌していくのかな?

3人組みの子供達はどう思っているのかな、ひょっとしたら
皆なと一緒に食べる給食時間が楽しみだったりして??

会計の時レジで先程のオバタリアン3人組みと一緒になる。
支払いの時何気なく見えた左手の10ポイントのロレックス
3人とも着てる洋服は上品でセンスの良いものです。

思わず大声で「給食代ぐらい払え」と言いたくなりました
PCのウイルスと同じだと、誰かが不満と言うウイルスをばら撒くどんどん感染していく。
啓発を忘れ・自己中心的・我慢をわすれ・感謝を忘れ不満を増長させる。

私も人の事は余り言えませんが・三人組みの給食の話は少しおかしくないですか?
ふざけた話だと思うのは私だけですか?


先輩Aさん脳梗塞から帰還

私が19歳の時アルバイト先でAさんと知り合う、もう〜随分長い付き合いになる
3歳年上のAさんは若い頃バリバリの体育会系で背も高く性格も超が付くくらい
明るい人であり顔も当時人気のあった布施明に似ていた。

職場では女性社員の憧れの的であり、若手のリーダー格である

何しろビールが好きで、Aさんと私と友人Uの3人で飲むとだいたい大瓶30本は
軽く空いてしまう。私も友人Uも体育会系なのでスポーツ談義に花が咲いたくちです
この頃の私は暴飲暴食が趣味のような時代でした

その後、私や友人Uは独立の道を選び、仕事も住む地域も違ってきたが付き合いは
その後も続きました。

ある日アルバムの整理をしていて先輩Aさんの若い頃の写真が出て来ました、
電話をかけて見ると、奥さんの様子が少しおかしく感じたのですが、取りあえず
先輩の家に行く事にしました。先輩と顔があった瞬間ひと間違いかと?・・・・

歩き方も言語もおかしく、体も痩せていました、
話を聞くと昨日病院から退院してきたばかりとの事、・・脳梗塞だそうです

退院した翌日だと言うのに冷蔵庫からビールをだす、私と奥さんの制止も聞かず
ビールを飲みだす、煙草は日に60本・ビールは毎日2本だそうだ

性格は相変わらず明るく意味不明の言葉(麻痺の為)が混じるが人間の持つ
雰囲気は若い時のAさんのままであった。

私が今では健康を考えて月2から3回ぐらいの飲み会以外では殆んど飲まない
様にしていると、煙草は6年前に止めたと話すと・・少し寂しそうな表情が・・

私の父も脳梗塞で苦しみました、その時の事を先輩Aさんに話す・・・・私は
団塊の世代の59歳です、両親以外でも友人2人をすでに脳梗塞と脳疾患で・・・

20代後半から30代は結婚式の連絡ばかり・・50代は悲しい便りが続く・・・

父が脳梗塞になるまで私は脳梗塞という言葉さえ知らなかった、先輩Aもまた
体力に自信があり病気とは無縁と思っていた、先輩Aさんこれからの人生を
楽しむ為にも・有意義なものにする為にもお互い健康を第一に考えなくてはと

最後に奥さんがポツリと一言「こんな話をする年代になったんですね」・・


介護疲れからの殺人報道(1)

最近の暗いニュースで息子(娘)が介護に疲れて80歳の母親(父親)を・・妻が夫を・・
夫が妻を・・介護に絡んだ家族の殺人事件が連日の様に報道されている

私自身、7年にわたり寝たきりの母(要介護5・医療行為あり)を介護してきました。

訪問看護センターの看護師さんが毎日来てくれるが看護師ひとりでは看護できず
毎日手伝うのである、一日の母の食事も私が作っていた。両親の部屋の掃除
洗濯も基本的には、いろいろな理由から女房には手伝ってもらわない事にしていた。

介護ストレスからか血糖値が300前後になり介護の時間の半分は立っている事
自体苦しかった・・自分の抱えたストレス・悩み等の持って行き場所がなく

自分の心の中に仕舞う事しか出来ず孤独感に落ちていく。ただただ辛い・辛い
友達・家族・行政・医者でさえ真に理解してもらえず、苦痛と孤独感だけに


理解して貰う為に自分の心の全てを話したら、きっと涙が出て止まる事はないだろう
多分、自分自身の人格、性格、理性などを構成しているものが壊れるだろう・・・・・・
そして自分の人生の全てがグチャグチャになってしまうだろうと思う

精神的に男として、人間として完全に壊れてしまうと思った
だからこそ全てを背負いこんで自分の心の中に仕舞いこんだ、それが一番安易だと
その時は思ったからです

今だから言えるが事件になる位まで精神的に追い込まれた時がありました
事件になるか、ならないかの間にはボーダラインが存在する、超えてしまったら
事件になる・・・私は留まる事ができた。
ボーダーラインを超えなかったのは両親(家族)に対する愛なのか、思い入れなのか?

年老いた母の顔を見て感じる事は介護する私より寝たきりの母の方が何倍も
何倍も辛いだろうと心から思う

弱音をはかない母親を見ていると、そんな自分が情けなくなる



あ〜思わぬ出費の一週間

カーナビを通販で購入する。購入を決断するまでに通販会社に連絡を入れ
取り付けは難しくないですか?と聞いたところ「あー凄く簡単ですよ」との事

商品が届いてマニュアルを見ると取り付け後10日以内に車を購入したディラーで
配線の接続の点検をして下さい、と書かれている

マニュアル自体、字が小さくウンザリする。
行き着けのガソリンスタンドで相談すると素人がすると配線を隠すのが上手く
出来ないケースが多いとの事・・・・結局その場で取り付けを頼むことにした。

あ〜〜余分な出費が出てしまった、でも出来栄えを見たら頼んで良かったと
思った、さすがプロの仕事です、私には同じ事は出来ない (どこが簡単なんだ)

家に帰ると女房が寝室のテレビがダメみたいとの事、16年使ったからそろそろ寿命
かなと思い翌日、電気量販店にいく。寝室用だから20インチぐらいでいいのではと
思っていたのですが結局32インチのハイビジョンTVを買ってしまう・・
ああ〜〜余分な出費が〜予定オーバーなので思い切り値切る事にしました。

しかし、このハイビジョンテレビ、映像の綺麗なのには驚いた・・良かった

その翌日今度は20年使っていた冷蔵庫の冷凍室が効かなくなる。
今度は女房と電気量販店にいく、20年前の冷蔵庫より、随分進化したものだ、
そのぶん値段も高い・・・・・あぁあぁ〜〜またまた出費が

家に帰って18年選手の洗濯機の前で思わずもう少し頑張ってくれよとつぶやく!!
最後に少し遅くなったパソコンのメモリーアップであああ〜出費がまた続く
今月は飲み会は無し・・・ あ〜セントラルヒーティングも21年選手、これは大変だ

絵の様な花

アルバムの中にあった気になる写真をスキャンしました何か絵の様ですね、
記事に写真挿入やブログ用に写真サイズの変更などは使わないと
すぐ忘れてしまう、だから練習を兼ねて写真挿入をしました
思いがけなく出費する時は続くものですねこれからのセカンドライフは
節約しなければと・・


何故、在宅介護を選択したか(2)

母が入院をしている時ディサービスでお世話になっているAホームの
看護士出身の○○部長のBさんが病室にやって来ました

「何か困ってる事ないですか、お力になれる事があるかもしれませんから」
その言葉にどれだけの勇気を貰った事か・・・

その後何度かAホームに行き介護のアドバイスをして頂きました。
いずれは母親がお世話になる所と心で決め手いました。

Aホームの見学の時○○部長のBさんが「何か気づいた事があれば遠慮なく
話して下さいネ」と優しい顔で私に言った

見学が終わった後でBさんに見学時に気づいた事を話す「・・・その点が改善
されるといいのですが」

Bさんからでた返答は「その様な愚痴を聞いてくれる様な所はないですよ」
一瞬我が耳を疑いました。私はBさんに聞き返しました。聞き返した事が
勘にさわったのか完全に敵対的表情になりました
利用者の立場にたっての改善策を愚痴と取る★情けなくなりました

相手に失礼がない様に穏やかな表情で言葉を選びながら話したのですが
この様な人が○○部長とは・・年老いた両親を守れるのは家族だけだけだと
この時、強く思った、後はあくまでも手助けだけだと

他にも色々と有り考えた末に在宅での介護を選択したのです。



何故、在宅介護を選択したか(1)

★ 母が心筋梗塞を起こし病院に入院していた時の話です。
見舞いに行くたびに感じた事ですが・・それは看護師についてです
入院患者と接する時、人間としてではなく物を扱う様に見えたのです。

50代にもなった未熟な私はそれ迄看護師は真に優しい人・患者の辛い
気持ちを一番理解出来る人、又は理解をしようと努力の出来る人達と
思っていました。

若い看護師の場合は私の見た限りでは頑張っていると感じるのですが
年配の看護師になればなるほど雑に見え表情・会話からも暖かさを
感じる事が出来ないのです、又優しい言葉や表情を見せていても演技
ぽく見えてしまいます

本人は雑と手際がいいのと勘違いでもしているのでしょうか?
誤解しないでください年配看護師すべてがそうだとはいいません。

後に訪問看護センターから派遣された年配看護師で本当に素晴らしい
看護師さんがいました・・・いずれこのブログに詳しく書きます

福祉の世界・医者・看護師、私が思っていたのとは大きく違っていたのが
現実でした、あまりにも自分の中で美化し過ぎていた事に気づきました

お医者さんとは頭が良く人命にたいし使命感を持ち患者の立場に
立てる人と思っていましたが言葉は優しいが以外に世間知らずの
我がままな人種に映りました・・
・在宅介護を選択した訳はそれだけでは有りません