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昨日40年らいの友と話す
久々に(15年ぶり)会ったせいか7時間にもわたり話は盛り上がりました。 今思えば20代から50歳ぐらい迄ガムシャラに走って来た私達でした
一度たりとも鈍行ではなく急行・・いや新幹線で走ってきた。そのころは 本当の意味で自分を癒すすべも知らず、ただ走ってきた
社会と言う戦場で成功を信じて自分自身の存在を確認する為に 又家族が幸福になる為にと信じ!・・・ 働いていた時はたえず問題意識をもち前向きに自己啓発をしたものです
私は子育て・介護が終わり鬱になる気がしました、何か抜け殻の様な 自分・・鬱が迫ってくる実感が少しですがあります。
週2回のスポーツジムと同じく週2回のプールで気分転換をしています これからは新幹線でも鈍行でもなくのんびりと人生を送ろうと思います
第2の人生はのんびりと一ッ一ッの出来事を味わって行きたい40年らいの 友人も新幹線人生・・リタイヤした今やはり鬱が気になると言います
これからは健康を考えながらのんびりと家族同志で楽しんで行こうと 話の最後はそこに落ち着きました。
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私は浦島太郎か!?
両親を介護する期間が役7年間この間我ながら関心するぐらい介護に没頭、集中しました。 集中と言えば聞こえは良いのですが実は精神的に余裕が無いのが本当のところでした
たいていの趣味は出来なくなり、ただただ空いている時間は、ただボーと過ごしていました 当時の私にはストレスと戦うにはただただボーとしているのが一番いい解消法でした 介護の時期が終わり精神的に落ち着いて、ふと気がつくと環境は全てデジタル世界に
★18年前に購入したビデオデッキがそろそろ寿命かなと思い電気店にそこにあるのは DVDプレイヤー・レコダーなどデジタルと言う聞きなれない言葉の氾濫です
またある日ビデオでも見ようかと思いレンタルショップに行くと新しいソフトはDVDばかりで ビデオはほんの少しです。 デジタルと言えば知っているのはせいぜいCDぐらいです
★ケーブルTV・、DVDレコダー・パソコン・プリンター・デジカメ・無線ラン等を購入するが 全てに設定が必要なのです聞きなれない用語ばかりで、まるで難解なパズルの世界です
★ビデオの再生をDVDレコダーに録画・ケーブルテレビの番組をDVDレコダーに予約録画 地上波放送をビデオ&レコダーに予約録画 すべてが出来る様に配線と設定をするが二ツが出来ると他の一ツが駄目になり悪戦苦闘 の末どうにかできましたが、なんと延べ時間は11時間かかりました まるで浦島太郎です・・変わらなくていい物、進化しなくてもいい物までが変わってしまった これからは体力、知力ともに社会復帰と思い頑張って行くつもりです。
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タイガースの優勝
《何故ハンドルネームをニュータイガー8にしたのかと言いますと》
父母は神戸で生まれた地域せいなのか阪神タイガースの大ファンです 私は甲子園の近くの西宮市で生まれました、その影響か私もタイガースの 大ファンに自然となって行きました
ハンドルネームをつける時、私の頭に咄嗟に浮かんだのがタイガースでした ところがタイガーと名の付いたハンドルネームは登録済みなのでニューと8を 加えたのです
父は平成16年阪神の優勝を見ることなく亡くなりました。最後は大変穏やかな表情 でした、 翌年の阪神タイガースの優勝を父は見る事が出来なかったのが 大変残念です。
寝たきりの母は私と一緒にベット脇のテレビで優勝のシーンを見る事ができました 母はテレビ中継の間ほとんど瞬きもせず目を点にしてテレビを見ていました
優勝が確定した時、私は母の顔を見たら母の目元がほんの少しですが優しく なったのを見る事が出来ました。
この頃、母はすでに話す事(会話)が出来なくなっていました。ほんの少し優しく なった目元から【よかったネ】と言う感情が私に伝わって来た気がしました 私は母の手を握ると瞼を閉じ母は眠りに付きました。
寝たきりの生活・辛い事ばかりでしょう。今日ぐらいは楽しい夢を見てください この時の事を今でも思い出すと辛く悲しいです。
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江ノ電に初めて乗る

昨日は女房と一緒に鎌倉に・・藤沢に21年住んでいながら江ノ電に初めて乗る、 江ノ電だけではなく江ノ電藤沢駅まで家からバスで行きました
実にバスに乗るのは役30年振りです普段は移動には車ばかりなので少し感動しました。 バスもなかなか良いものだと思いました
江ノ電の速度は50代後半の夫婦にはとても心地の良い速度でした。 気候もとても良く、そのせいか夫婦の会話はとても弾みました。
小学校の遠足のような気分になり、とても満足。若い時だとこの速度にどんな感想を 持ったのかな?きっといらいらした事でしょう
鎌倉には何度か車では行きましたが今回は江ノ電の1日乗車券のりおくんでのんびりと 観光しました。気候も、とても穏やかな一日です。
小町通りを歩くと同年代と思われる人々を多く見かけました両親の介護も終わり、 これからの第二の人生をどう有意義なものにする事が出来るのかと、ふと そんな思いを感じながら
これからのシニア人生まずはパソコンをマスターしなければと思いながら女房と小町通りを ゆっくりと歩いていました
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寝たきりの母親 (第1回め)
母親は昨年の春、自宅のベットで他界しました。(行年88歳) 心筋梗塞で倒れた時に足を複雑骨折、 それ以来寝たきりになり7年間ベットだけの 生活でした
その7年間の間に父も脳梗塞で2度倒れ、私は仕事をリタイヤし両親の介護をする事を 決断する。 父は脳梗塞で倒れて3年後に眠る様に亡くなりました。(行年83歳)
その7年間の体験を通じて多くの事を私は学びました、 これこそ両親が私(子供)への最後の教育でありプレゼントだったと今では思えます。
私自身は当時大変辛く感じた事も多くありましたが人生の中で一番長く両親と接した 時間でもありました
家族の絆の大切さ、重要さを認識した時期でもありました いまでは両親に大変感謝 しております
出来ればもっともっと両親と多くの会話を持ちたかった、何故ならいかなる有名な歴史の 登場人物より両親の事をもっともっと知りたくなったからです
私の知っている父は寡黙な人であり家庭的な人ではなかった、しかし介護を通じて家族 に対する父の優しさを強く感じました。 母は負けず嫌いで気の強い人とばかり思って いたのですが本当は少し寂しがり屋でもあった, いや少しではなく凄い寂しがり屋だと思う
介護をしなければ父の優しさ、母が寂しがり屋だとは気づかなかったと思う 両親の事をもっと知りたかった 同じ思いをいずれ私の子供が感じた時の為にこの ブログを書きます。また家族として親として伝えたい事柄を書いていきます
何時の日にか息子がこのブログを見てくれる事を思いながら・・・
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