介護:気がついたらシニア
子供に自分の父親はこんな人だよとブログを通じて伝えたい。 何時か必ずやってくる日の為に・・

プロフィール

Author:ニュータイガー8
子供の頃は野球少年であり、将来の夢はプロになる事でした。高1の時自信のあった遠投でアピールするが肩を傷め夢を断念。 23歳で起業する51歳でリタイヤし寝たきりの両親の24時間介護を7年間する。



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人を動かす・・難しさ

以前、母の介護でお世話になったAケアマネさんと駅前でバッタリ再会
しました、聞くと今は管理者の立場だそうです


時間があったので喫茶店に行く事になりました、席につくなり
「あー疲れました、」
がAさんの第一声でした

その後、でるはでるは部下が、思った通りに動いてくれないと不満が爆発した
のです、30分ほどAさんは一方的に喋って気持ちが落ち着いたのか、今度は
私にアドバイスを求めてきました

実に聞いている方は災難です、でもケアマネ時代のAさんはとても誠実な
仕事をする人だと記憶しています


特にAさんの様に誠実で責任感の強い人は管理者であるが為に孤独になり、
精神力の消耗度はより加速して疲れてしまいます

私が出来たアドバイスは・・・初めての海外旅行と同じで慣れない時は旅行を
楽しむより、ためらいがの方が多いものです、

ところが何度か体験して海外事情を知ってくると行動にも自信が出て楽しむ事が
自然と出来る様になります

管理者も同じで人を動かす事を知れば知るほどに実践を重ねれば必ず本題が
分かり確信がもてる様になると、その程度のアドバイスをしました、
(アドバイスより励ましかも知れませんね)
ofの10

訪問介護の世界も大変なのは利用者家族としても分かってはいましたが、話を
聞けば聞くほど大変さが理解できます、 Aさんの様な人ほど頑張ってもらいたい


拝啓、厚生労働大臣M殿

私は両親の介護を体験しなければ後期高齢医療制度に関しても、多分興味さえ
持たなかった、のんぽり的な人間だと思う

  しかし今、心の底から怒りを感じ始めています、M大臣、貴方にです
(何年か前)
介護を通して感じた事に行政の腰の重さ、鈍さ、俗に言うお役所仕事等などに
うんざりしていた時、貴方はテレビを通して週に一度は介護に実家の母の家に
行き介護したそうですね、

そして介護の辛さを理解しているからこそ介護の改革案を披露しましたね
その時は心から感動もし期待もしました


何ヶ月前の日曜の朝のニュース(政治)番組で後期高齢医療制度は若者世代の
医療負担増しからの不満を抑える為に必要と何度も繰り返しましたよね

それは、まるで世代間の不満をあおるのが目的の様にも私には映りました
私はこの頃から厚生労働大臣M殿に不信感が芽生えました

また在るテレビ番組では、同じ自民党の平沢議員が後期高齢医療制度は
どう考えても理解出来ないと勇気ある発言に対して、M大臣は平沢議員に対して
真っ向から反論しましたよね、しかも平沢議員をみくだした口調で話していました


後期高齢医療制度の賛成論者のM大臣が最近では不思議な事に反対側の意見を
話し始めました・・・・・何故でしょうか?・・・・・選挙が近くなってきたからですか?
考えが変わるのがいけないのではなく、 貴方の立場は大臣なのですから

M大臣、ご存知ですか?特養の食事の時に使うエプロンを、まるで子供使用の絵柄
です、もっとお洒落で大人の雰囲気のデザインのものに変えてはどうですか?
エプロン一枚気に留める事が出来ずに改革が出来るのですか?

政治屋ではなく政治家であってもらいたい、議員の代表ではなく国民の代表ですよ
くれぐれも国民目線での政治をお願いします ・・・介護の終わった団塊世代より


介護が辛く感じたら読んでほしい

私の友人Sも自宅での母親の介護がはじまった
今年になって始めてSから電話がはいった・・とても元気のない声で介護の
辛さを私に話し始めた

実は話を聞く事が私には苦痛です、でも我慢をしてSの話を誠実に
聴きました、 何故なら私がそうだった様に介護生活はどんどん孤独に
なるからです

きっとSもまた孤独の蟻地獄にはまらない為に私に電話をしてきたのでしょう、
私が力説したのは介護する側の健康についてです

現在の私は体づくりと健康を取りもどす為に毎日頑張っています
最初に体調を崩したの介護も3年が過ぎた頃からだと思います体がだるくて
だるくてしかたなかったのが最初の兆候でした

介護生活が5年が過ぎた頃には、家の門から玄関までの8段の階段を登って
玄関に入った時には心臓の鼓動が早くなっているのです

体調がどんどん悪くなって行くのが自分でもよく分りました
介護をしていて立っているだけで、とてもしんどい、酷い時は冷や汗がでて
顔色が青くなる時もありました

心臓が弱ってきた気がしました「ひょっとしたら母親より私の方が先に逝く
かもしれない」
と・・・・・体調が悪くなっている事は家族には知らせませんでした

私は介護に関して家族に協力を頼まなかった両親の介護生活の99%は私一人で
やっていたのです

自分の不器用な性格からか自分一人で全てを背負ってしまったのです
私が検査を受けると即入院の可能性も有ると思うと、
母親の介護は誰が見るのかと心配で、病院で検査を受ける事を躊躇しました

友人Sはパソコンをしません、だから私はブログの一部をコピーしてSに送り
ました、   後日Sからハガキをもらいました「俺も頑張るから・・・」と
★友人Sに送付したブログのコピーは下記の5件です、

08/03/26介護が辛く感じたら・08/02/21介護の追憶・・08/02/16介護後遺症からの脱皮
07/07/10介護疲れからの殺人報道(3)・・07/02/12介護疲れからの殺人報道(1)


拘束パジャマの思い出

最近は在宅介護(両親)の体験の記憶が随分と薄れて来ました
介護をしていた時期は、家族には手伝ってもらわず私一人で全てをやって
おりました

その為か、自治体に対する不満、病院、訪問看護センターなどの不手際や
不親切な部分が多く目にとまりました、


介護を始めて2年が過ぎた頃までは、介護が終わったら自治体、病院
訪問看護センター等の不手際をまとめてホームページで発表してみようと
思っていました

母親の介護を始めて3年近くなった頃、今度は父親が脳梗塞で倒れました
そして介護の期間も4年、5年、6年、7年が過ぎた頃には、もうそんな事は
どうでも良い事になっていました
・・・・・・・・・その日その日で、もう一杯一杯でした

51歳から始まって59歳で私の在宅介護生活は終わりました介護が終わってから
ブログを始めた次第です
不手際や不親切な部分だけではなく感謝すべき事も数多くありました

私のブログを見てくださる方々は女性が多く看護師さん、ヘルパーさん
(現役or元)そして、現在、親の介護をしている人達や、これから介護が始まろうと
している人達です

最近、私の体験記憶が薄れてきた中で他の人のブログを見ていて強く思い
だした事がありました


ブログに訪問してくださる(管理者名)あいづのふくしさんのブログを見ての事です
ブログ名は{福祉情報}です、9/10記事名は{医療機関での身体拘束}

母は寝たきりの状態です、ある日狭心症で病院に運ばれました、その時の事です
付き添いでいた私に看護師さんがせかす様にこういいました
「一階の売店に行ってチャックのついたつなぎのパジャマを買ってきて下さい」

後から気がついたのですが、それは騒ぐ患者に使う拘束用のパジャマでした
驚いたのは鍵がついていた事です、  入院一日が過ぎてから婦長がこられて、
「あ〜もうこのパジャマは必要ありませんのでガーゼ生地の寝巻きを用意して
下さい」との事です

私の目には拘束用のパジャマなど最初から必要ないように思えた
私が一番頭にきたのは、私に考えさせない様にせかして買いに行かせた看護師です
悪徳商法と、どこが違うのか?と・・・・

当然、納得が出来ない私は病院と掛け合いました、すると以外と簡単に病院側が
パジャマを引き取る事にしてくれました、決して泣き寝入りはしない事です


追記・福祉情報は大変内容があり役立つブログです、是非寄ってみてください、


スキンケアーの大切さ

寝たきりの母の介護の中で大切な事を思い出しました
2008/2/12のタイトルオムツと床ずれ:2008/4/24の寝てきりの状態
での清拭
でも書いたのですが書き忘れがありましたので追記します

寝たきりになると排便や尿はすべてオムツの中で済ませてしまいます
するとオムツの中は湿気が多くなり衛生的にもよくありません

尿の一部分はオムツに上手く吸収されず皮膚についたままになります
母の場合も仙骨のあたりに床ずれがあり、小さくなったと思ったら
翌日には大きくなっていたりと
治すのが大変でした

床ずれは栄養面も大切ですが、皮膚のケアーも大切なのです

尿や排便に気づいた時は出来るだけ早く清拭(清潔に)をします
でないと床ずれ部分にバイ菌がついて、より床ずれを悪化させるのです

また床ずれが出来ていない場合でも尿や下痢便をそのままにしておくと
皮膚がただれて床ずれの元になります

私の場合は気づいた時は必ず清拭をしました、まずは清潔にする事です

そして最後に化粧水(一般に市販されている安いもの)を床ずれ
以外のところに、この化粧水(肌水)を塗りました

予防としても効果はあったと思います

オムツの中は不潔に成りやすいものです、健康な皮膚を守る為にも
皮膚のケアーは大切な事です



それ?!営業トークですか?

親の在宅介護をしていた頃の話です、私自身が介護に辛くなった時に
訪問看護師さん、ヘルパーさんからの励ましの言葉を期待してしまう事がありました、

そんな時に限って返ってくるのは弱反応です
一言でもいいから「大変な時期でしょうが頑張って下さい」と言ってくれれば私自身は
精神的に落ち着くのですが  (チョット自分勝手な発言でした)

自分勝手と分っていても期待してしまう、きっと在宅介護をしていると私と同じ
心理状態になった方もいるのではと思います、


ある日、新しくわが家の担当になった看護師さんがやってきました、私の状況を見て
その看護師さんが曰くには・・・

「本当に○○さんは頑張っていらっしゃいますね、きっとこれから先の人生に御褒美が
貰えますよ、介護の一日一日が御褒美が貰える時までの積み立て貯金ですよ、」

「お母様をここまで一生懸命に介護していらしゃる事を必ず誰かが見ていてて
くれるはずですよ、」


この言葉を聴いた時は単純に嬉しくなりました、(^^♪(^^♪
やはり人(私)は自分の行いを評価してもらいたい、褒めてもらいたい、同調してもらい
たいと思う心理が働くものだと、つくづく思いました


その日から3ヶ月がすぎた頃、他の訪問看護センターのB看護師さんが私に「お母様は
幸せな方ですね、○○さんは介護頑張っていますね・・・きっとこれから先の人生に
御褒美が・・・積み立て貯金・・・誰かが見て・・・・」

あ〜3ヶ月前に聴いた言葉と殆んど同じセリフでした、な〜んだこれは
マニュアルの営業トークだったのかと?でも始めて聴いた事にして私は「大変嬉しいです
有難う御座います、その言葉だけで、あと5年は頑張れます」と・・・・

営業トークであっても、その頃の私にとっては最高の慰めの言葉でした
今では笑い話ですが、心から感謝しています、有難う御座いました


認認介護の意味は・・

最近テレビ、新聞で認認介護と言う活字が目に留まります
今までは老老介護と言う活字を多く見かけたものですが・・

老老介護と同種の意味で認知症の家族を認知症の相方が介護
する事です、認知症とは物事を記憶する力や判断能力が低下する
病気です、しかも治りません

私の母の場合は寝たきりで医療行為もありで、しかも在宅介護
3年が過ぎた頃からは中程度の認知症になったのです

当然息子である私は、当初その現実を上手く受け入れる事ができ
ませんでした、不安や戸惑いが優先しました

この頃から薬の副作用なのか急に怒りだしたり、大声で「助けて」
と叫んだり、自宅に居るのに「さ〜家に帰ろう」と言って
掛け布団をたたもうとするのです

両親or相方が認知症になったら介護する側の心構えとしては
軽度の頃から出来るだけ会話をする事です


私の場合は軽度と中程度の間ぐらいの時に母親に
「お袋は、もの忘れ病になってしまったんだよ」と話しました
母親は私の顔を見ながら怪訝な表情をしました

その表情の後で私に「じゃ〜迷惑をかけるネ、どうすればいい」と
私は「お袋!心配は一切いらないから、俺が最後まで面倒みるから
何の心配もいらないから安心していていいよ」と話した

その瞬間、母は笑顔を見せてくれました
いつしか母は私が息子だという認識さえ出来なくなって行きました
しかも話す事も表情もなくなりました


その頃の私は母親のわずかな瞬間に見せる笑顔が見たくて、毎日毎日
無表情の母親に話しかけていました


介護:家庭内で起きた虐待(統計)に思う

2007年の統計で介護のうえでの虐待の加害者は息子が一番多い
との事です、
・・・非常に残念な数字です

では息子の立場である
私が自宅で寝たきりの母を7年間何故介護できたのでしょうか

2007・3/2の記事でタイトル「看護師さん、ヘルパーさんから聞かれる
事で
」の中でも書いたのですが、もう一ッ大な要因があります、

中学2年の時の事です、その頃の私は番長グループ(硬派)の一員でした
少し前の言葉で言えばヤンキーです (とうとうカミングアウト)

そんなある日、番長の家に遊びに行って見た光景に驚きました
番長とその兄(高2)が親の手伝いをしているのです

少し時間がたった頃に番長の母親が高2の兄に「後でお好み焼き作るから
天カスを買ってきてくれ」と頼まれて私も同行する事になりました

天カスを買いに行く道筋での番長の兄の話です
「な〜○○、自分より弱い奴や下級生に喧嘩に勝っても自慢には
ならん」「万引きやカツアゲ、女の事で喧嘩する奴は最低
」で
こう言う奴らをチュンタロウと言うのだぞ」と教えてくれた

お好み焼きを食べる時、番長とその兄の親に対する言葉使いが
丁寧なのにも驚いた、カルチャーショックでした、


私は家に帰って親の顔を見た時、いきがって反抗ばかりしている自分が
情けなく思えた、この時の番長の兄の言葉がその後の私の人間形成に
大な影響を与えていると思う

それから37、8年が過ぎた時、母は寝たきりの要介護5になりました
私は仕事をやめ、母の介護を自宅でしました、介護の期間は7年半に
なりました、それは大変辛い期間でもありましたが頑張り通せました

それは寝たきりの母親は私より遥かに辛く弱いのです、
年老い弱った母親を介護するのは当たり前と素直に思えた事です

あの時番長の兄から聞いた話が今の私の原点なのだと思う

2007・10/12タイトル看護師、ヘルパーさんに心から感謝を込めて
書いた看護師さん、ヘルパーさんがいたのも大な要因です